「めんどくさい」が行き着く先は、孤独。めんどくさいことにも価値がある。

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こんにちは、マリアです。

 

あ゛ーーーーーー!!!

 

毎日生活していると、「めんどくさい」と思ってしまうことはないだろうか。

 

めんどくさいと思ってしまう対象は、その日によって違うし、度合いも違う。

でもひとまず、めんどくさくて手がつかないし、
なんとかこの気持ちを押し殺してやり切るか、ちょっと休憩するか迷うところ。

 

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「めんどくさい」が行き着く先は、孤独。

先日、仕事でどうしてもやらないといけないことがあるけど
やる気が起こらず「めんどくさいな〜」と思ってしまった。

 

んんん?

 

もしやこれは、なぜ「めんどくさいか」を考える時が来たかもしれないと思い、
思わず仕事をそっちのけで考えこんだ。←おいw

 

その時わかったことは、極論「めんどくさい」が辿り着く先は、「孤独」かもしれない。

 

なぜなら、現在の自分を中心に考えることで、めんどくさいと思ってしまっているから。

 

「めんどくさい」の発生源を見ると、

現在の自分を中心に、自己利益(休憩したい、別のことをしたい、など)だけを考えている

「人」がいることで「この世の中が成り立つ」という本質をわかっていない

ということがわかる。

 

だからこのとき、めんどくさいと感じてしまうことに対して
自分の感情を元に、マイナスイメージがついてしまっている。

 

わかっている通り、世の中は人一人では生きていけない。

だから、自分の資源(時間、体力、能力など)を犠牲にして、誰かのために行動することが必要になる。

 

でも、そんなときに「めんどくさいから、やらない」となると、
これまで回っていた循環が途切れてしまう。

(もちろん、この世界で一人が手を抜いても、世界は周り続けるし、こんなに壮大に考えることはないけど…)

 

「自分だけよければいいんだ…」

なんて思っていたら周りからは見捨てられ、自分の居場所を失い、孤独になる。

ぽいっ。ぷいっ。
(大抵、引き戻してくれる人が現れるけど)

 

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めんどくさいことにも価値がある。

たとえ、めんどくさくても必ず価値がある。

なぜなら全ての出来事は、見方を変えてみることで価値を与えられるから

 

例えば、自分が「めんどくさい」と思ったことに対して、以下の「もの」や「人」の立場から見るとどうだろうか?

  • 社会全体
  • 目の前にいる相手
  • 未来の自分

など

 

現在の自分のことだけを考えると、「めんどくさい」の感情しか起こらないが、

  • 直接社会に影響を与えなくても、影響を与えるための材料になっているかも
  • あなたが「めんどくさい」と思ったものを、心待ちにしている人がいるかも
  • 未来の自分が、「あの時やっていてよかった」と思っているかも

これは、めんどくさいと思った行動へのイメージがマイナスからプラスに変わる間際。

 

こうやって、「現在の自分」の先を行くと、必ず将来(近い将来)どこか・だれかに繋がっている。

 

そう考えると、目の前にある自分の「めんどくさい」に少し愛着が湧かないだろうか?

今の自分が「めんどくさい」と思っていることも、少し先の未来では、誰かの笑顔に繋がっていたりする。

 

そう考えると、

「こんなことを思っている場合ではない!やるぞー!!」

と思ってしまう。

 

もちろん、休憩をとることは大事だし、わたし自身もとる。

だけど、めんどくさいからやめたり、マイナスのイメージをもったまま取り掛かるのは、
あまりにももったいないのではないだろうか。

(「もったいない」と思うことの他に、より価値のあることがあるなら別だけど。)

 

今度、「めんどくさい」と思ったときは、「現在の自分」の先を行く
将来を考えて動いてみるサインだと思ってみるのもいいかもしれない

そうすれば、目の前のことにも集中できるし、
より自分の行動に意味をなし、使命感も出てくるはず。

 

 

最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございます。
この記事が何かのお役に立てれば、幸いです。

 

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