こんにちは、マリアです。
今回は、「子供の頃にいじめられたあなた」へ送るメッセージ。
子供の頃にいじめられたあなたは、弱くなんかない。
わたしは、子供のころにいじめられていた。
理由は、Bくんがわたしに遊ぼうと誘ってきた時に、
「今日はAくんと遊ぶから、また今度ね。」と断ったから。(←たぶんこれが原因と思っている)
ある日の昼休み、Bくんが「みんな、一緒に遊ぼーーー!!」とみんなを誘ったのだ。
もちろんいつも通り、集まったがその時に衝撃的な言葉を聞かされた。
「僕はマリアを呼んでないから、こっちにこないで!」
え、今何が起こったんだ?
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この一件以来、どうしていいかわからず、
休み時間は校庭で一人で遊ぶか、本を読む毎日。
突然、わたしは子供ながらに作っていた居場所を失った。
けど、クラスメートや先生は、知らないフリをしたり、
何事もないように暮らしている。
子供ながらにこの時初めて、この世の中の「残酷さ」を子供ながらに見た。
歯を食いしばって耐えたり、一人が怖くて涙がボロボロ出たり…
とにかくどうしていいか分からず、
びくびくしながら、出口のない暗闇を一人でさまよっている気分だった。
でも今、その時のことを振り返って思うことは、
子供ながらに、わたしは弱かったわけじゃない。
周りの子供や大人なんかに比べて、
辛い経験をした分、「誰かを助けたい・守りたい」
という強いこころを育てていたんだ。
それでも、ひとりの人を助けるのは怖いときがある。
辛い経験をした分、いじめられている人の気持ちがわかるはずなのに、
「また、自分がいじめられたらどうしよう」という恐怖は付きまとう。
いじめられていた頃から年数が経って、わたしにも友人ができた時、
ある女の子がいじめられていたのを知った。
その日たまたま、その女の子と目が合ったけど、
「今助けたら、今度はわたしがいじめられる」という恐怖心から、声が出なかった。
「わたしも結局、大多数の人と同じだ。」
その子の悲しそうな目は今でも鮮明に覚えているし、
声をかけられなかった自分にも腹立たしい。
結局耐えられなくなって、しばらくしてから、
その子に話しかけて仲良くなることができた。
でも大多数になるのは簡単で、とても楽なことだということを知った。
周りに合わせていれば問題はないし、何かあったとしても責任は周りの人と言い張れる。
それに、いじめの標的にならないためには、必死に周りと同じように振る舞えばいいし、
必要に応じて、同じような格好やモノを持てばいい。
いじめられた過去を恥じないで生きる。
わたしは、いじめられた過去を恥じないで生きたい。
だから、別に隠す必要もない。
でも、わたしは共有することで傷のなめ合いをしたいわけではなく、
いじめを経験した人に、これからの人生を強いこころを持って生きてほしいなと思っている。
少なからずその辛い経験が、
わたしたちの一部を(ほんの一部でも)作り出しているはずだし、
いじめられる人の気持ちを一番にわかってあげられるのもわたしたちだから。
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最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございます。
この記事が何かのお役に立てれば、幸いです。