こんにちは、マリアです。
今回は、幸せとは何かというテーマでお話しします。
コロナの影響で、徐々には普段通りの生活が戻ってはきてるけど、
いま「あなたは幸せ?」ですか?
アメリカの貧困地域で暮らす人は、私よりも幸せだった
以前アメリカの貧困地域で暮らす人たちのために、ボランティアをしたことがあって、
これまでの考えがひっくり返ったことがあったことがある。
まず、わたしがボランティアをした地域は
- たべものが安く手に入るジャンクフード店しかない
- ホームレスの方が道の至るところにいる
- ホームレス以外の大人は、仕事をしているため街中にいない
- 子を持つ親は、施設にこどもを夜遅くまで預ける
こういう感じで、ちかくの地域に住む人でも足を踏み入れない場所らしい。
正直なところ、最初は怖いと思ったけど、こういう状況だからこそ
「わたしが今感じている幸せを分け与えたい」
「少しでも笑顔になってほしい」
そんな思いをもってボランティアに取り組もうとしていた。
けど、アメリカの貧困地域で暮らす人は、私よりも幸せだった。
幸せとはなにか
裕福ではなくても、日本でふつうに暮らしてきて、
「あの貧困地域で暮らす人たちは、幸せを感じられていないかも。」
と、勝手に決めつけていました。
でも、幸せって必ずしも
- 住む環境
- 一緒に暮らす人
- お金
- 社会的地位
では測れないんですよね。
そのときに、私が学んだ『幸せ』とはなにかを紹介します。
- 感謝をすること
- 視点を変えること
- 他人との比較をやめること
①幸せとは、感謝をすること
感謝をすることで、そこにある「幸せ」に気づかしてくれるから。
わたしがボランティアをしたとき、
「来てくれてありがとう。」
「暖かい食事をくれてありがとう。」
「折り紙教えてくれてありがとう。」
数えきれないほどの「ありがとう」をもらいました。
でもそれ以上に、その場での『できごとに感謝』にしていたことに気づいたんです。
だから、その一言一言がすごく重たかった。
例えば、
- だれかと笑い合っているとき
- おいしいご飯を食べているとき
- 好きな人といるとき
- ゲームをしているとき
一見、いまの日本ならふつうに思いますが、
すべて「感謝」につながるんですよね。
- だれかと笑い合っているとき
→その人がいて一緒に笑ってくれることに感謝 - おいしいご飯を食べているとき
→おいしいご飯があることに感謝 - 好きな人といるとき
→好きな人がとなりにいて、その人があなたのことを好きでいてくれることに感謝 - ゲームをしているとき
→おもしろいゲームを作って、提供してくれたことに感謝
無意識のうちに当たり前だと思っている方もいるかもいるけど、
これって当たり前のことじゃない。
もし、一緒に笑える相手がいなかったら? 美味しいご飯がなかったら?どうでしょうか。
全ては「感謝」の気持ちが「幸せ」を呼んでくれているんです。
きっとあなたの日常にも、感謝があってことの幸せがたくさんあるはず。
②幸せとは、視点を変えること
貧困層にいた方々と会った瞬間に感じたことは、
「あの人たちは、幸せになるための視点をもっている。」
ということ。
わたしは、今あるふつうの生活を当たり前の軸として考えていたため、
「あの人たちは幸せを感じられていないかも」
とバカな考え方を…
だから逆に言えば、あなたの考え方が変われば、
すぐに幸せになれると言うことです。
理由は、視点を変えるとあなたの脳が収集する情報が変わるから。
例えば、
あなたなら、この状況をどう思いますか?
A:「あー、今日はついてない。なんでこんなに人がいるんだ、回転率が悪すぎる、早くしてくれ…」
B:「今日の食事はきっとおいしいこと間違いなし! 少し待っているのは、きっと一人ひとりへのおもてなしがされていて、料理も一品一品ていねいに作られているからなんだ!!」
Aは、この状況がどれほど最悪だったかを表現して、文句ばかりが頭をよぎっている。
Bは、待っている理由をスタッフさんのおもてなしや、料理に対するシェフの評価で状況をポジティブに捉えている。
きっと、幸福度が高いのはB。
物事を見る視点を変えることで、見るものへの考えが180度異なることもあるんです。
だから、幸せにための視点をもっていれば、自然と幸せに。
不幸な視点を持てば、不幸に。
視点の違いで、幸せになれます。
③幸せとは、他人との比較をやめること
ボランティアをしていたときに、3人の女の子と出会い、
折り紙を教えていました。
そのとき、みんなで3回くらい鶴をおったけど、みんなの形も結構バラバラ。
それでも、その子たちは喜んでいました。
「最初よりもうまく作れたわ」
「あなたの鶴もかわいいね」
アメリカの文化にも関係しているけど
日本と比べてアメリカでは、一人ひとりが独立しています。
人はみんな、違うことが当たり前なんです。
だから、ムダに比較なんてしない。
それよりも、違いを認めて、相手のいいところを見つける。
それを身をもって感じたときに、
「なんでわたしはムダに相手と比較して、自分を苦しめているのか」
と思いました。
きっと自分たちの多くは、無意識のうちに、他人と自分を比べているはずです。
なぜなら、他人と比較することは、すごく簡単だから。
目に見えている他人と自分を比較することは、
考えなくても良いから簡単にできてしまうんです。
「あの人は勉強もできて、スタイルも良くてモテモテでいいな~。どうして私は…」
他人の良いところに目が行くことは、とても良いことだけど、
これでは、余計に自分が不幸だと感じてしまっています。
もちろん、比較対象があなたの「幸せ」で、
あなたがその幸せを得るために行動しているなら否定はしません。
でも、ただただ他人と自分とを比較して、
比較をした結果に自分がいやになるだけであれば、今すぐやめてほしい!!
それは、自分の幸福度をさらに下げているだけだから。
「幸せ」のために行動するならともかく、比較するだけで解決はできませんからね。
だからこそ、他人との比較をやめましょう。
人は人。あなたはあなた。
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幸せとはなにか。→見つけるもの。
私がボランティアをしていた地域で、
「幸せになりたい」と考えている人たちは、もちろんいるはず。
けど、それよりも今ある幸せを見つけることが
あまりにもその人たちの「当たり前」になっていたことに驚いた。
いま日本では、コロナの影響を受けているけど
「あなたは幸せ?」
って聞かれたら、迷わず「うん」って答えられるように、日頃から幸せを見つけておいた方がいいと感じます。
幸せを感じられないっていってる場合じゃない。
こういうときだからこそ、いまある環境で幸せを見つけて、その幸せを感じられる人たちと乗り切るしかない。
だから、わたしも今ある幸せをたくさん見つけます。
最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございます。
この記事が何かのお役に立てれば、幸いです。
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